杉本博司:ロスト・ヒューマン

「今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。」 ― 杉本博司が2014年にパレ・ド・トーキョーで開催したAujourd'hui, le monde est mort [Lost Human Genetic Archive](今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない [ロスト・ヒューマン・ジェネティック・アーカイブ])に世界初公開の<廃墟劇場>と新作インスタレーション<仏の海>を加えた大規模個展「ロスト・ヒューマン」における三十三の黙示録的シナリオは、すべてこの一文から始まる。TOPミュージアムとしてリニューアルした東京都写真美術館の再開館となるこの展示は、遺伝子研究者からラブドールのアンジェに至るまでの、多岐にわたる想像上の人物によって語られる世界の終りの証言を通じて、杉本の私的な蒐集品と百科全書的な歴史知識を幅広く展開するものだ。

私たち人間という種に特有の生産物であるオブジェは、杉本にとって、自分の周りに存在するとされる世界の真の実在を示す唯一の根拠であり、こうした感覚の由来を杉本自身が公に賞賛し展示全体を通じて引用もしているマルセル・デュシャンに遡ることはたやすい。しかし、言葉遊びを好んだデュシャンは、後世のあらゆるアーティストにとっての礎となる仕事を残した一方で、言語に固有の限界についてあまりにも自覚的であるゆえに、知覚された現実を記述的に定義するのではなく、むしろ現実知覚を歪曲するために言語を用いた。驚くべきことに、杉本は語りを通じて各々のシナリオに生気を与えており、普段であれば作品に徹底した神々しさを与えるために深い思慮と自制心で抑えている自らの人間性を、よくもわるくも、表に出している。より逆説的なことに、そうすることで杉本は、オブジェそのものに宿ると彼自身が信じているという言葉を超えた力に自ら語らしめるため、展示されたオブジェたちにその剥き出しの姿を垣間見させるのだ。

杉本の矛盾を孕んだ意図は、さもなければ整然としすぎるものになりかねなかったこの展示の引力を、観る者の立場によって、弱くも強くもするものだろう。しかし、提示された物語をその通りに受け入れるにせよ、自分自身の物語をそこに見出すにせよ、あるいは、物語性をすべて放棄して観るにせよ、「ロスト・ヒューマン」展が杉本博司の今日までの歩みにおいて最もその人間性に迫ることのできる展示であることは間違いない。開催は11月13日まで。

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