風間サチコ

木版画で作品を制作発表してから、かれこれ20年余りになります。
私にとって木版画の利点とは、下絵、転写、彫り、刷りと多くのプロセスを経ることで作品と自分自身との間に適度な距離ができ、作品に客観性を与えることが出来るところです。ペイティングのように作品と面と向かって制作するよりも、クールダウンしながらの表現が丁度良いと感じています。

 

近年は、現在の東京の街と過去の歴史的モチーフを一つの画面上に構成したモノクロの木版画をメインに制作しています。

 

この「黒い版画」を彫って刷り上げることは「闇を彫り起こす」作業でもあります。今、私達が知っている『歴史』は真実なのか?都合の良い『物語』に変換されているのではないか?そんな疑問から作品の着想を得て、画題の内容を徹底的にリサーチします。作品の舞台になる街に出掛け撮影したり、良くも悪くも一番信頼出来る当時の資料(主に古本)を蒐集し、言葉や写真、イラストから「真実」を探してゆくのです。この作業はとても刺激的で面白いです。調べていく過程でパズルのピースが一つずつ見つかり疑問が埋まってゆく感覚、自分一人だけが知る事件の謎を解く探偵や、秘密を探るスパイになったようなスリルが味わえます。そして隠蔽や改竄、忘却の「闇」からの発掘作業のような仕事は、黒く塗られた版木から白=光を彫刻刀で彫り出すという表現にも繋がるのです。

 

私の作品は政治的、思想的な作品と思われてしまうこともあるのですが、あくまでも制作の起点は自分自身の純粋な疑問や好奇心です。そこに問題提起や啓蒙などといった思想広告的要素はあえて排除しているつもりです。あまりにも酷すぎる権力の歴史が、その酷さゆえにナンセンスの域にまで達してしまうという皮肉が大好きです。歴史的ナンセンスを描くために、現在と過去の風景、古本から発見したモチーフや自分で描いたドローイングなど画面上にコラージュし、現実とフィクションを混在させた物語を再構築します。歴史の真実を探ったあげくに、またフィクションに帰結してしまうというのもナンセンスですが...。

 

私が作家になろうと決意したのは20才の頃です。そのときガルシンの短篇小説「赤い花」に出会い、このたった30ページ足らずの物語からとても大切な啓示をうけました。主人公の青年は、狂疾がもたらす異常な感覚のなかで「自己の哲学上に生きる者は、空間にも時間にもとらわれない。」という理論を導きだし、狂気に掻き乱されながらも自らが唯一の発見者で「人類最初の闘士」という使命感から、癲狂院の中庭の片隅に咲く「世界中の悪の権化」である赤い花二輪と一つの蕾に闘いを挑み、そして悲壮な格闘のすえに命を落とします。

 

「...美術家は何を為すべきか?...」正気の人間には見えぬものを見いだし、自らを唯一の闘士と信じて闘うこと。その闘争が非合理で不毛であればこその意義!これが「赤い花」からの啓示です。

 

生来もって生まれた怠け者な時計と天邪鬼な観察眼。この二つを持ち合わせた以上は美術家として闘争しなければならない、と思い続けています。これからも平和な街角に葬り去られた過去と、未来への不吉な予感を見つけ出して作品を制作してゆきたいです。

 

風間サチコ

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