長谷川サダオ

長谷川サダオとの出会いは1999年3月に成山画廊で行われた三島剛の展覧会であった。

日本に未だサドマゾや疑似切腹で性的興奮を得る人々、少年少女愛、同性愛の専門誌が無かった時代、その総合雑誌と呼べる「風俗奇譚」の編集者で、日本で初めてゲイポルノを製造販売したM氏と共に表れた。三島剛は生涯男性しか描かなかったアーティストで、三島由紀夫との交流も深く、三島由紀夫が描いた切腹をする青年像が三島剛の遺品にあり、それはしばらく私の手元にあった。

 

私は高校生の頃、随分年上の日本のシュルレアリズム画家らと遊びに出掛けていて、そんな様子をサダオさんはよく見かけていたと言っていた。

 

その後もう1度会ったが、トータルで20分程の面談だった。

 

2000年になったある日、静岡の長谷川と名乗る男性から電話があり、面会を求められた。サダオさんの兄弟であった。サダオさんはバンコックで客死したという事だった。この兄弟は30数年振りにバンコックで再会した。

サダオさんの遺骨を引き取り、家族が初めて東京の彼の部屋に入ると、性器を露にしている男性の絵が大量にあり、驚いた家族はそれらをすぐにゴミ袋に入れ、ゴミ収集所に総てを運んだという。机の整理をすると三島由紀夫のポートレイトを描いた石と共にメモがあり、「作品は総て成山画廊の管理とする。」というメモがあった。慌てた家族は収集所に戻り、作品を部屋に持ち帰ったという。

 

遺品には精密に描かれた8点の男根崇拝にまつわる新作があり、多くは神に扮した凛々しい男性像で成山画廊での展覧会が決まった。

 

1970年代後半から1999年までに描いた数百の作品は成山画廊の管理下にある。

 

成山明光

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