大塚咲:人間の内側はダークなんだと私は思います

写真:アンドレイ・ボルド

 

ポルノとアートを分かつ曖昧なラインは、これまで飽きるほど繰り返されてきた終わらない議論のひとつだ。アーティストはこのグレーゾーンにおいて、自分の内的衝動に耽溺し、社会と宗教の今にも崩れそうなタブーを軽く刺激し、世間の注目を集めることができる。しかし、度々その恩恵を受けているアーティストに対し、ポルノの世界で名を馳せた者がアートの世界で活躍することは稀だ。この二つの世界は、互いに支えあうと同時に、交わらぬ平行を常に保ってもいる。

かつてポルノの世界で女優として活躍していた大塚咲は、今はプロの写真家・アーティストとして活動している。この平行世界の固い地盤を砕くことは彼女にとっても難しいだろう。しかし、生まれながらの実存主義者である彼女が、生の経験の中で磨きあげた感性を通じて人間の本質的な闇に迫る試みは、真に注目に値するものだ。

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大塚咲

私は1984年に東京で生まれ、賑やかな街で育ちました。大きな商店街や大きなビルがあって、昼間から呑んでいる大人もいるし、夜になれば客引きが目立ちはじめて酔っ払いだらけ。そんな、ごちゃごちゃした人口の多い街でした。

 

性産業の世界に飛び込んだのは、多くの人間の欲を見たかったからです。当時、私は18歳でした。自分の将来を考えている時、私はふと、人の人生は作品だという事に気がつきました。そして、私という作品を作るために何が必要かを考えました。創作をするにあたって私は人の「欲」を表現したいと思い、沢山の人間の欲を見る必要があると考えました。「性」は人間の「欲」が激しく表れるものです。私は「性」を通じて、沢山の人の普段は隠している「内側」を覗きたいと思っていましたし、良い作品を作るには様々な経験が必要だと考えていました。当時の私には、性産業の世界は「欲」に汚れた場所だと感じていました。そこに自分の身を投げることで、自分の感情の動くままに作品を作ることが目的だったのです。

 

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性産業の業界はいざ足を踏み入れてみると、思っていたほどダークではありませんでした。しかし、人身売買の一種には変わりがないと感じます。
AV女優は、不幸であるという意見があります。確かに......心が満たされていない子が多い様に感じます。でも、決して、AV女優=不幸というわけではありません。彼女達の多くは自分の居場所を探しているだけだと、私は思います。

 

後悔しているかと聞かれることはよくありますが、覚悟を決めてやったことで、後悔はありません。約10年間、楽しい思いも、苦しい思いも、悔しい思いも、めいっぱい経験しました。沢山の「欲」の形を知る事のできる貴重な時間でした。

 
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業界に入って10年ほど経った頃、引退を決めました。やる事は全てやりきったという感覚になったからです。それと、3.11で不景気になると感じた事も一つの理由です。
引退してからは「今まで何かに取り憑かれていたのかな?(笑)」なんて思うくらい、体が軽くなりました。自分を取り戻したような......不思議な感覚になりました。

 
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セックス自体が好きだったのかどうか、今となっては良く分かりません。日本女性の多くは、セックスが気持ちいいものではなかったり、絶頂の感覚を知らなかったりするようだけど、私はそういう訳ではなく......そこのスイッチは通常より多く持っている方だと思う。
引退して嬉しかったことは食事制限にそこまで気を使わなくて良くなったことですね。早起きしなくていいし(笑)

 

私はセックスの際に男性が剥き出しにする欲に溢れた雰囲気が嫌いです。歪んだ性欲の雰囲気を感じとったら、私はその男性と喧嘩してる感覚になってしまう。その喧嘩をすることに、私は疲れたのかもしれない。性欲の心理パターンも、もう見飽きてしまって、自分がそれをする気にはなれない。
最近はセックスを撮影しているけど、欲の中にいる人間に興味があるからで、AV女優の頃と興味としては変わらないですね。

 
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女優だった頃と比べて、現在の私の報酬は......そりゃ下がりましたが、特に問題はありません。試行錯誤しながら「自分自身」でお金を稼ぐことには変わりがないので、それなりに楽しんでいます。

 

自分自身を撮影することはほとんどありません。今まで私を商品として売ってきました。私を商品として写真作品を作ることは受け手にとっても分かりやすく、彼らが求めていることかもしれません。しかし、そればかりを続けていても、私は成長しません。それと「私を見て!」というような自己表現や自己主張が苦手でもあります。私はもうAV女優ではないので、その手の自己主張を無理矢理しなくてもいい環境にホッとしている部分もあります。

 
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写真では女の子を撮ることが多いですね。女の子の内側は、悩みが多くて好きです。それに、彼女達が持つ悩みは、私も抱えたことのある悩みと似ていて共感できますし、写真を撮ることで、同化したようなそんな感覚になります。同化する感覚になることが撮影をする上で必要だとも私は考えています。私は誰かとの関係性を写し出すために登場する位が、なんだか、私らしいなと感じます。

 

今でもヌードを撮っているのは人間の内側を写し出したいからです。それと、動物的な部分が現れるのもヌードだからこそですね。人には色んな「欲」があり、表面的には見せなくても、人間の内側はダークなんだと私は思います。だから、作品もどこかダークな世界観になるのかもしれません。

 
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ドローイングと写真の両方を制作していますが、ドローイングは内側の自分をそのまま表す作業で、心のままに作品が出来上がってゆきます。対して、写真は内側の自分を外側に出す作業ですし、他人と関わる作業です。撮影には、ベストな空間や光を用意したり、自分に合うモデルが必要だったりと、条件として不可欠なものが沢山あります。二つの表現方法は異なりますが、私にとっては、どちらも必要です。切り替えをしているわけではなく、その時の自分に必要なものをチョイスしているだけです。それに、絵を描くことは、私のストレスを和らげてくれます。写真は、私にストレスを与えますね。

 

私のドローイングにはよく指が出てきます。指は人間の欲の象徴として描いているので、絵でも写真でも表現したい根本的なテーマは変わりません。違いとしては、絵は私が感じた人間の欲を描いているのと、写真はそこにある欲を映してること。
いわば私は、主観的な体験を絵にして、客観的な体験を写真にしているんだと思います。

 
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最近は『HOTEL-B』という企画の完成に向けて制作をしています。HOTEL-Bという架空のラブホテルの中で、欲を剥き出しにした人々を撮影するものです。部屋は100部屋あるので、それをまず、完成させたいですね。