赤石隆明:Flimsy Stele

2010年からWaste Parkというプロジェクトを継続しています。Waste Parkは偶然手に入れたガラクタ同然の小さなパワーストーンを出発点として写真、立体、パフォーマンスなど、形態を問わず、作り出したイメージの変換を繰り返すことで、自作をアップデートし続ける試みです。写真を写真に撮ることから始まったこの変遷は、平面、立体を行き来することで、今や家系図的広がりを持ちつつあります。

 

Waste Parkの8番目の変換系にあたるFlimsy Steleでは、前述したパワーストーンを単純な多面体に変換して分割し、5つのオブジェを作製。次に、オブジェを組み合わせ幾つかのパターンを撮影します。最後に、撮影した写真をプロジェクタで梱包用のストレッチフィルムに投影し、再撮影しています。プロジェクタの光がストレッチフィルムを透過することで立ち現れるピクセルのオブジェは、その支持体が持つ18μm厚という網膜よりも薄い物質感に作用して、容易に形態を変化させます。風の揺らぎや、熱による溶解、引っ張ることで伸縮するといった物理的な働きかけを加えることで、情報にすぎないピクセルのオブジェを彫像しています。これは薄っぺらなストレッチフィルムを媒介として瞬間的に形成されるイメージをとらえたものです。

 

テクノロジーの進歩が写真を情報に変換し、ディスプレイ上のやり取りへと移行したことで、紙に焼く/出力するという行為そのものが見直され、物質としての写真が問い直されているように思います。それは、写真が物質としての軛から解放されつつあることの裏返しかもしれません。

 

ディスプレイ上では物理的な制約を越えてイメージを貯蔵し、加工するのが当たり前となっていますし、私たちはコミュニケーションの手段として写真をシェアし、絵文字の持つ非言語で語り合ってもいます。ウェブ上ではイメージが刹那的に消費されているとはいえ、時間軸を越えて共有されることで、幾度となく最新のタイムラインに現れる様は、ゾンビが墓場から顔を覗かせるかのようです。このように写真が現象から情報へ昇華したことで、かえって化学としての写真の現象に注目が集まるとともに、デジタルデバイスを介した写真はオリジナルという概念が希薄になり、無限に生成され、大量に消費されるモノへと変わりつつあります。今日の写真のマテリアリティとはこの状況の上に成り立っているのではないでしょうか。

 
赤石隆明

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